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カテゴリ:社会( 2 )   

  


まずは下の写真をご覧あれ

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断層ですね

九州から関東まで続く全長1000kmほどの断層で中央構造線という

それとクロスしてるのが北陸から関東に縦断してるフォッサマグナ

地球ってのは北極がNで南極がSの巨大な磁石の球

この巨大な磁石の表面で2つの地層がぶつかり合ってんのが中央構造線

分かり難いので線を引いてみたのが下の図

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ピンクの線が中央構造線、水色の線がフォッサマグナ

黄色の線が伊勢からわかれたもう1本の断層帯

この断層帯がなにかっていうとゼロ磁場の発生場所

ゼロ磁場ってのは、電磁誘導でいう2つの磁界の方向が向き合ってゼロになっている場のこと

逆向きに同じ長さ、巻き数の電線を巻いた2つのコイルを向かい合わせて電流を通すと

磁界の向きが正反対になるため、作られるはずの磁場が打ち消しあって発生しない

んじゃ、エネルギーがゼロかっていうとそうではない

左右の手を合わせて同じ力で押し合えば一見静止してるように見えるが

中心には双方のエネルギーが加わってるのと同じ

このゼロ磁場ってのが気を発生する気場が出来てるらしい

そこで発生した気を水に転写すると、水の性質が変化し

それは気功師が気を入れた水と同じ性質になることが科学的にも立証された

この中央構造線上のすべてに気場があるわけじゃないけど

興味深いのが中央構造線上になにがあるかってこと

諏訪大社、分杭峠、豊川稲荷、天河大弁財天社、高野山、石鎚山、阿蘇山

など、重要な聖地や国譲り神話に関わる神々もこの線上に祀られているとのこと

そして伊勢神宮、瀧原宮も然り

いわゆるパワースポットってヤツ

まぁ、気を信じるか信じないか、感じるか感じないかは人それぞれだけど

こんなことを踏まえて観光してみるのも楽しいもんですね

因みに瀧原宮は宿から1kmくらいなので歩いていけます

ってことは、宿も中央構造線の派線上ってことね

by rosso_diabolic | 2009-04-19 19:34 | 社会

天下無双   


来月行くことになった伊勢についてちょっと豆知識



伊勢の人口は約14万人。伊勢神宮に訪れる人は正月三が日で100万人、年間1000万人が訪れるという。

その伊勢神宮についてちょっと調べてみたら興味深いものがありあり。

まずは「伊勢神宮の仕組み」ってやつ。

「式年遷宮」は知ってる人も多いと思う。

伊勢神宮には外宮と内宮があって、それぞれに門とか正殿とか建物がいくつかあるわけだけど

それを20年ごとに全部隣りの敷地に立て直す。

新たに正殿を作って御神体を還すってわけ。

それが最初に行われたのが西暦690年。それから1300年ずっと実施してきている。

内宮、外宮の建物だけではなく、御垣、鳥居、橋、内部の衣服や正殿の装飾や器物等も全部新しく作り直す。

前回の遷宮に掛かった費用が380億円らしく、次の遷宮の平成25年の予算は550億円!

んで、この費用はいったい何処から捻出するのだろうか?

政教分離のこの時代に税金は使えないし、宗教法人である伊勢神宮の収入で賄うしかないんだけど

20年で550億って、年間27億以上を20年間集め続ける計算になる。

寄付だけでそんなに集まるのか疑問。

更に伊勢神宮には500人くらいの人が働いてて、当然人件費もかかるわけだけど

人件費が1人500万として年間25億。総経費の1/3が人件費だとすると、全体で75億の運営費。

式年遷宮のために毎年27億の積立金が必要になるから、それを足すと年間100億を超える収入があるってことね。

1300年間ずーっとそれをやってきたワケだ・・・

てか、どーやって、そんなお金集めてんだ?

ここで注目するのが伊勢神宮のキャッチコピー。

聞いたことあるかな?因みに俺の記憶には残ってる。

「一生に一度は伊勢に」

ただ単にキャッチコピー・・・いや、ここまでくるとスローガンだな。

単にスローガンを掲げたって人は集まりゃしない。

どんだけ広めてどんだけ浸透させたかがキモですね。

そもそも「一生に一度・・・」なんて他じゃ聞かない

「三都物語」とか「そうだ京都に行こう」とかは聞くけど(笑)

旅行代理店がどんなに知恵を絞っても、政府が国家レベルでなにかをやろうとしても

もうこれ以上のものは生まれないでしょね。

未だ嘗て「死ぬまでに一度は行きたい場所」と言わしめた場所は政治的、宗教的メッカに関わらず伊勢しかない。

何故ここまで伊勢が特別なものになったのかは理由がある。

御師、伊勢講、お蔭参りなどが伊勢を特別にするための仕掛けが色々あって

それで伊勢は特別なものになってきたという。

キリスト教の宣教師のように、伊勢の御師は日本中に伊勢への布教にでかけていた。

伊勢講は旅行積み立て募金みたいなもので、ひとりひとりは貧乏すぎて誰も伊勢にいけないけど

講に属する者のお金を持ち寄って一人でも伊勢に送るというシステム

代表者1人をくじ引きで選ぶワケだけど、必ず講に属する者全員が行けるような配慮がされていたとか。

これは江戸期のことだけど、貧しくても一生に一度は旅行が出来たのはこの伊勢講のおかげらしい。

お蔭参りが抜け参りと言われる所以は、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。

この行為に幕藩は規制を敷いたが、効果は無かった。

当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許される風潮だった。

無許可の旅行であっても伊勢神宮参拝が目的であることがはっきりすれば「叱責」程度の罰で済まされた。

こんなことから「一生に一度の伊勢神宮参詣」は庶民の夢とされたらしい。

因みにこの「お蔭参り」は60年周期に大規模なものがある。

下のデータ参照



1650年 慶安3年

慶安のお蔭参りは、箱根の関所の調べによると、正月下旬から3月上旬までで一日平均500-600人が参詣。

3月中旬から5月までで平均2100人が参詣。

参詣者: データなし

当時の日本総人口:1781万人(1650年)

発生地域:江戸

期間:1月~5月



1705年 宝永2年

宝永のお蔭参りは、本格的なお蔭参りの始まりで、2ヶ月間に330万~370万人が伊勢神宮に参詣。

4月上旬から1日に2~3千人が松阪を通り、最高は1日23万人。

参詣者:330万~370万人

当時の日本総人口:2769万人(1700年)

発生地域:京都



1771年 明和8年

4月11日、宇治から女・子供ばかりの集団が仕事場の茶山から無断ではなれて、

着の身着のままやってきたのが明和のお蔭参りの始まりと伝える。

参詣者:200万人

当時の日本総人口:3110万人(1750年)

発生地域:山城の宇治

期間:4月~7月(5ヶ月間)



1830年 文政13年 / 天保元年

文政のお蔭参りでは、60年周期の「おかげ年」が意識されていた。

伝播地域は、明和よりも狭かったが、参加人数は大幅に増えている。

参詣者:427万6500人

当時の日本総人口:3228万人(1850年)

発生地域:阿波

期間:閏3月初~8月末



お伊勢参りがもっとも盛んな時期には総人口の1/7が参拝した。

今の時代だと1700万人

交通網の発達していない当時、この数字は驚異的としか言いようがない。



こういうのいろいろあって初めて「いつかは伊勢」「死ぬまでに一度は伊勢」みたいになるわけで

その積み重ねの上に550億があると思える。

「継続は力なり」ってやつですかね



話を式年遷宮に戻すと20年ごとに行う意味は?

これは「伝統技術や儀式、その作法や芸能を守るための20年」

例えば宮大工が正殿や御垣、鳥居なんかを作るわけだけど

これが50~100年ごとだと前にやった人がいなくなったり死んじゃったりで技の継承ができない。

それを20年ごとに遷宮すれば20才代で初参加、40才代で中核人材として参加、60才代で頭領として正殿建築を率いる。

これを繰り返すと1300年間伝統の技、一流の技能が承継できるわけ。

宮大工だけじゃなく、木細工や機織り、絹作り、料理方法などなど、内部の装飾や小物もすべて作り直すわけで

多種多様な伝統技術を絶やさず次の世代に伝えることができる。

設計図とかがあればいいんじゃね?

と思うかもしんないけど、失くしたり焼けたりしたらおしまい。

やっぱ生き字引が必要

こういう様々な仕組みを地道に埋め込むことが、最終的に「なにかを動かす」ということだと思う。

どんな世界でもメジャーなメーカーやブランド、絶対的な慣習や風習とかどれもこれも自然にできあがったりはしていない。

確固たる自信と信念を元に、仕掛け人がいろんな歯車を組み込んで

小さな仕組みが合わさって大きなひとつの目的のためにきちんと設計されて

そのすべてが組み合わさったとき、"揺ぎ無い物"が出来上がるんだと思う。



ってなことを頭に入れつつ観光するとまた違った楽しみがあるのではないでしょうか。

もうひとつネタがあるんだけど、それはまた次回に。

ってか読み返してみたらスゲー長文www

テラ電波www

by rosso_diabolic | 2009-04-16 19:32 | 社会